孔明という大黒柱を失うとすぐに滅亡、というイメージが強いものの、実は孔明の死後も、蜀は約30年近く存続しています。
孔明が自分の死後の一番目の後継者として指名したのは蒋琬(ショウエン)でした。彼は孔明の死にも動じること無く、その職責を全うして国を治めることに成功しましたが、残念ながら急逝してしまいました。
その後を継いだのは、孔明が二番目にして最後に指名した費禕(ヒイ)。彼もまた前任者に匹敵する政治手腕を発揮し、軍事面でも自ら戦争を仕掛けるようなことはせず、むしろ戦争を仕掛けようとする武闘派を抑えていました。
蜀が孔明の死後も命脈を保った理由の一つに、戦争で疲弊した国力の回復を前提として、専守防衛に努めていたことが挙げられます。蒋琬と費禕の功績により蜀の安定は保たれ、一応の平安が訪れていました。 |